岸本 哲氏(第67・68期副会長,第62・63期庶務理事)コラム

2020年

ラーメン屋の飲み放題その1

地方都市(和歌山市)のラーメン屋さんに夕食をとりに訪れました。麺類と餃子を頼もうとすると、60分千円弱の飲み放題がありました。ラーメン屋さんで飲み放題は不思議な気はしましたが、生ビール2杯で元は取れるし、3杯飲めば得します。胃袋と肝臓に自身のある人ならば絶対に選択するのでしょうね。

ラーメン屋の飲み放題その2

60分、千円弱の飲み放題の和歌山市のラーメン屋さん(JR和歌山駅の南西にある広い通り沿いにあったと思います。)ですが、皆様の期待にこたえて飲み放題(60分、千円弱)を頼みました。麺類と餃子が来る前に生ビール2杯、注文した麺類と餃子がハイボールと一緒に来ました。当然、餃子を肴にハイボールです。今日は絶好調です。

ラーメン屋の飲み放題その3

和歌山市のラーメン屋さんの話の続きです。生ビール2杯の後、餃子と麺類を肴に3杯のハイボールを飲み干し、麺類のおつゆを考えて麦焼酎のロックへ、続いて芋焼酎のロック、ここで胃袋と肝臓がいっぱいになってきます。芋焼酎はまだ残っているので、つい別なおつまみを注文。無限地獄に入りそうです。

ラーメン屋の飲み放題その4

和歌山市のラーメン屋さんの話の最後です。芋焼酎を飲みながら豚肉のコラーゲンを食べ、最後に地元で有名は梅酒を注文しました。お酒に関しては十分にもとを取りましたが(ハイボール3杯、生ビール2杯、梅酒1杯、麦焼酎1杯、芋焼酎1杯、まではおぼえています・・・。)おつまみもいっぱい追加注文もしましたし、お店の術中にはまったのかと思いつつ、浪曲の黒田武士の気分になって(馬ではなく(千鳥足で)歩いて)宿に帰りました。

上野発の夜行列車

今を去ること40年、上野発の夜行列車(名前は忘れましたが国鉄(当時)の急行列車)に乗って上越線の沼田駅に向かいます。オレンジと緑のツートンカラーだったと思います。(お詳しい方はぜひコラムに投稿してください。)沼田駅よりバスに乗り、尾瀬派の玄関口、大清水に向かいます。「尾瀬」シリーズの始まりです。

40年前のキャンプ用品:テント

キャンプ用品も今と40年前と今では全く違います。当時のテントは家型で布は厚く重く、支柱は2本、地面にペグを打って三角形あるいは5角形にします。支柱の直径も2pくらいあり、鉄製か良くてアルミ製の重いものでした。今のテントの軽いこと軽いこと。設営時間も昔は1時間、今はものの5分で設営完了です。

40年前のキャンプ用品:バーナー

キャンプでお湯を沸かすのは、今ではガスバーナーが主流ですが当時(40年前)はガソリン用のホエブス、灯油用のラジウスです。空気をポンプで圧縮して圧力で燃料を空気と一緒にノズルから吹き出し、それに火をつけます。固形燃料よりも火力ははるかに強く、極寒でも使用でき大変便利でしたが、当然予備のガソリンも背にしょって持って行くわけです。懐かしく思い、現在のキャンプ用品売り場を探しますが見あたりません。ネットオークションで見かけるくらいです。

40年前のキャンプ用品:キャラバンシューズ

40年前は、登山靴は革製で高価なものでした。ある会社が布製のトレッキングシューズを安価で販売し、貧乏学生でも買える価格になりました。当時青い布地でぶ厚いゴム底(すべり止めの金具付き)の靴が会社名をそのまま使ってトレッキングシューズの代名詞になりました。運動靴よりは丈夫で防水性もあったのですが変形せず足に当たるので、分厚い靴下をはいた記憶があります。防寒というより靴擦れ防止です。

40年前のキャンプ用品:アーミーナイフ

当時使用していたキャンプ用品で、今でも使用している道具はアーミーナイフです。栓抜き、缶切り、コルク抜き、ナイフ、ハサミ、のこぎり、ドライバー、はたまた楊枝までついている便利ものです。旅行にも持って行きます。ホテルでワインのコルクを抜くとき、瓶ビールの栓を抜くときは重宝しています。

40年前のキャンプ用品:飯盒

当時ご飯を炊くときには飯盒でした。コッフェルも使いますが、薪でご飯を炊くときは上から吊り下げるのでこの飯盒を使います。本体と蓋がギリギリのはめあいで、山の上でも圧力が高いのか美味しく炊けます。お焦げもしっかりできます。が、火からおろすタイミングが早すぎると生煮え飯になり、遅すぎると炭化したお焦げになります。

蟹(カニ)族

キャンプですので荷物を背中にしょって運びます。荷物は今のような縦に長いバックパック(アタックザック)ではなく横に広いリュックサック(当時の呼び名:帆布製でやたら重い)や背負子(しょいこ)に荷物を括り付けたものです。特にリュックサックはサイドポケットが大きく、これを背負った旅行者は鉄道の駅の改札を横にならないと通れないので「蟹(カニ)族」と呼ばれていました。「バックパッカー」の方が良いネーミングですね。

歩荷(ボッカ)さん

尾瀬沼、尾瀬ヶ原の宿泊施設への荷物はボッカさんと呼ばれる人たちが運びます。身長の倍くらいの高さの荷物を背負子(しょいこ)に括り付けて、淡々と峠を登り、木道を歩きます。尾瀬には40年前でもヘリポートはありましたが燃料や機材等の重量物と緊急用とのこと、野菜などの山荘での食料は歩荷(ボッカ)さんが運んだそうです。

水芭蕉

「夏の思い出」という尾瀬ヶ原を歌った唱歌があります。しかし水芭蕉が可憐な花を咲かせるのは5月中旬ごろ、真夏に尾瀬に行くと巨大な植物と化しています。ジュラスティックパークに来たのではないかと錯覚いたします。雨が少ない夏は浮島が湖底に着地しています。唱歌「夏の思い出」が果たして夏の思い出なのか(初夏と言えば言えないこともないですが)と疑問に思います。水芭蕉を見に行くならば5月中旬〜6月初旬がよいかと思います。

2019年

クリンソウ

先日、朝のテレビニュースで日光中禅寺湖千手が浜のクリンソウ(九輪草)が満開というニュースが流れておりました。名前の由来は、段になって輪生する花の様子が仏塔の先にたつ「九輪」に見えるからとのことです。全国ネットの朝のニュースになるほどの群生地が中禅寺湖畔にあるとは知りませんでした。

湯滝

日光中禅寺湖から戦場ヶ原と湯の湖に向かって進むと湯の湖から流れ落ちる「湯滝」があります。滝の下流の川は湯川と言います。名前は「湯滝」とか「湯川」とお湯の字がありますがですが流れているものは水です。湯川は戦場ヶ原を通り、龍頭の滝を流れ下って中禅寺湖に流れ込みます。

湯の湖

湯の湖の近くに日光湯元温泉があります。この温泉の源泉が湖のほとりにあり、ほかにも湖畔のいたるところでお湯が沸いています。これが名前の由来でしょうか。釣りは昔からマス系の魚影が濃くニジマス、カワマス、ヒメマス、ホンマスが有名です。ところがもともとは魚のいない湖だったようで、これらの魚は放流です。

湯本スキー場

奥日光の湯の湖のほとりにあるリフトが3本の小さなスキー場が湯本スキー場です。小学生の時に2度ほど行ったのですが、いい気持ちで湯の湖湖畔まで滑り降り、ふと見るとゲレンデに穴が開いています。のぞいてみると透明な水がみえます。近寄ってよく見ると雪の下に分厚い氷がありその下には湖の水がありました。勢いあまって湯の湖の氷の上まで滑ってきてしまったようです。

金精峠

日光湯元温泉、湯の湖を後に国道120号線(日本ロマンチック街道)を進むと金精峠があります。金精トンネルの手前から金精山、白根山と続く登山道もあります。今はトンネルを通りますが、その昔、赤城山が攻めてきたとき(前述した「男体山」対「赤城山」バトルの昔話です。)は戦場ヶ原の位置から考えて、この金精峠を越えて攻めてきたのでしょう。

前白根山

日光側から見て手前にある白根山で前白根山というのでしょうか。(当然もう一つの白根山(奥白根)もあります。)私は湯元スキー場から登りました。湯本スキー場のゲレンデの横を登り、尾根つたいに登るルートとでしたが、中禅寺湖畔より林道を登り、沢登りをして登頂する人(大抵ヘルメットを被っています)もいるようです。

五色沼

栃木県と群馬県の県境近く、前白根山と奥白根山の間に五色沼があります。前白根山と奥白根山は独立していて、一旦五色沼まで降りないと白根山には行けません。五色沼というのは沼は水の深さによって水の色が5色に変化するので五色沼と言うそうです。五色沼というと、福島県裏磐梯の五色沼の方が有名ですが、裏磐梯の五色沼が湖沼群であるのに対し、日光の方は1個の沼です。

白根山(奥白根山)

栃木県と群馬県の県境の山ですが山頂は群馬県側にあります。草津白根山とは違う山です。日光白根山とも呼びます。栃木県側のふもとから見ると三角おにぎりのような形をしています。私は菅沼キャンプ場から五色山を経て登頂しましたが丸山高原スキー場のロープウエーを使うと便利なようです。晴れていれば(山頂付近、夏はほとんど雲の中ですが)ここからの眺めは栃木・群馬の両県を見渡せる素晴らしいものです。

菅沼、丸沼

金精峠を群馬県側に抜けると菅沼、丸沼があります。菅沼のほとりにはキャンプ場(菅沼キャンプ場)があります。ここから白根山に上ることもできます。今でも電灯のないバンガローで、ランプ(石油ランプ)が明かりです。ランプは管理小屋で借りますが、返却時にはランプに着いた煤(すす)をきれいに掃除して返さなければなりません。意外と面倒です。

山風 谷風

この菅沼の畔の菅沼キャンプ場の炊事は薪で行います。注意すべきは、朝と夕方の風向きが違いです。山風、谷風と呼ばれるものです。山から駆け下りてくる山風、谷から駆け上がる谷風です。夕食時に風下にいて、煙たいおぼえをしたので、次の日の朝、逆側に場所をとると夕食時とは風向きが逆になり、また煙たい思いをします。知識は身を助けます。

丸沼高原スキー場

丸沼の近くにあるのが丸沼高原スキー場です。近くに温泉もあります。ここにあるロープウエーを使うと白根山の近くまで簡単にいくことができます。スキー場自体は歴史がありゲレンデの距離は短いのですが多様なゲレンデがあり、リフトも多いスキー場です。夏はゲレンデがオートキャンプ場になります。

沼田市

群馬県の丸沼高原スキー場を後にして国道120号線を西進すると吹き割の滝があり、この横を通り南下すると沼田市につきます。これで日光シリーズは終わりです。お付き合いいただき誠にありがとうございます。 ところで、到着した群馬県沼田市は尾瀬国立公園への玄関口です。40年前、この地より重いリュック(当時はバックパックと言わずリュックサックと呼んでいました)を背負いキャンプに行ったことを思い出しましました。今思うと、キャンプには素人の学生たちの珍道中でした。

スーパー北斗

新千歳空港からJRで南千歳駅へ、ここで特急スーパー北斗に乗換えて東室蘭に向かいます。車内にやたら大きな荷物(しかもバックパック)を持った外人さんを見かけます。チケットを見ると函館・五稜郭に行くようです。新千歳空港が国際空港ですから当然かもしれませんが、皆、バックパッカーのはずです。さすがに札幌から函館まで歩く時間と体力はないようです。

室蘭

室蘭東駅からバスで室蘭工業大学へ向かいます。乗ったバスのルートは住宅街の坂道を登っていくルートで、道沿いの家々の塀や垣根が低く、バスから見えるお庭にはツツジが咲きそろいきれいな街並みという印象を受けました。

サトザクラ

室蘭工業大学を入ると八重桜が咲いておりました。サトザクラというそうです。街中にはツツジが咲いておりました。総会と懇親会会場の鳳凰殿玄関前の車寄せにはチューリップとヒヤシンス、その横の庭園にはスイセン、裏庭にはヤマブキと、「北海道は春の花が一度に咲く」というのを体感いたしました。

中島神社

総会・懇親会会場の裏手に神社がありました。総会まで時間があったのでちょっと拝観いたしました。本殿の中には立派な鏡があります。絵馬を見ると縁結びの神様のようです。独身の方はお参りされましたでしょうか。

母恋駅

東室蘭より室蘭支線に乗りました。終点の室蘭の一つ手前に「母恋」駅があります。おそらくはアイヌ民族の発音を漢字に当てたのだと思いますが、「母が恋しい」とは開拓者たちの思いでしょうか。

旧室蘭駅舎

帰りは高速バスで新千歳空港に向かいます。せっかくですから始発のバス停に行こうと思い室蘭観光センターに向かいます。旧室蘭駅舎だそうで、ひたすら広い駐車場(空地)があります。室蘭港は、その昔は石炭の積出港だったそうで、この空地も当時は石炭を積んだ貨車でいっぱいだったのだろうと思います。

太陽電池

室蘭旧駅舎前を出てバスは室蘭駅、母恋駅と室蘭港をぐるりと回り、東室蘭から海沿いを少し走ります。時折見える太平洋に別れを告げ、高速道に入ります。高速道路の両脇は森林ですが時々横に大きな牧場と太陽電池群を見かけます。

新千歳国際空港

バスが空港に近づくにつれ、離着陸する飛行機が見えます。それもひっきりなし。国内の大手航空会社からLLC、さらには外国の航空会社の飛行機もです。さすがは北の玄関口、新千歳国際空港です。同じ国際空港でもつくばの近くの「茨城空港」とはずいぶんと違います。

夕張メロン

新千歳国際空港内、手荷物検査場への入り口前にメロンがトロフィーとともに飾ってあります。警備員も立っています。落札価格の紙もあります。「夕張市農協 夕張メロン秀2玉 5,000,000」とあります。ゼロが6つということは「5百万円?!」皆様並んで写真を撮っていたので、北海道では有名なメロンかもしれません。

日光

私の故郷、栃木県の有名な観光地に日光があります。「日光を見ずして結構と言うなかれ」とまで言われる場所です。日光東照宮、輪王寺に代表される前日光と華厳の滝、龍頭の滝、戦場ヶ原、男体山、霧降高原に代表される奥日光とに分かれ、前者は文化財、後者は自然豊かな景勝地です。宇都宮市から日光に向かいながら紹介していきます。

杉並木

餃子で有名な宇都宮市から国道119号線(日光街道)沿いに杉並木があります。「日光杉並木」と言い、国の特別天然記念物です。「花粉症の原因」という人もおりますが周りの植林された里山の杉山の方がはるかに花粉の放出量も大きいはずです。杉の中には杉の木の洞(うろ)に桜の種が落ちて杉の木から桜の幹(太い枝)が出て毎年見事な花を咲かせる「桜杉」などもあり、杉並木マラソンなども行われています。

日光―宇都宮道路

私が幼少のころは日光に行くには宇都宮からは国鉄(当時)日光線、浅草からは東武日光線のロマンスカー(当時の名称)あるいは杉並木のある日光街道を車かバスで行きました。杉並木があるため道幅を拡張できないので所々バイパスがあるのですがそれでも渋滞します。30年ほど前に東北自動車道から「日光―宇都宮道路」が分岐して、杉並木を見ることなく日光まで行けるのですが出口ではやはり渋滞します。

神橋

「日光―宇都宮道路」の日光インターチェンジを出て日光街道を北上すると大谷(ダイヤ)川を渡ります。この時左手に見える赤い橋が神橋です。漆塗りの木造の橋で歩いて渡ることもできますが通行料がかかります。二十数年前に渡った時は領収書代わりにお箸(それも赤い夫婦箸)がもらえました。

東照宮

言わずと知れた東照権現、徳川家康を祭った神社です。陽明門、唐門、回廊、御本社、眠り猫、見ざる(猿)・言わざる(猿)・聞かざる(猿)、鳴き龍と国宝級がずらりと勢ぞろいしています。特に陽明門は平成の大修理をごく最近終えた(はずな)ので、その豪華さを一度はご覧いただいた方がと思います。

二荒山神社

二荒山神社は二荒山(男体山)を奥宮とする神社で、日光国立公園内の広大な敷地(日光市内から男体山、中禅寺湖、日光連山を含め)を有します。考えようによっては神社の敷地の中で登山やキャンプや釣りやBBQをして、お土産やお菓子を奪いに来る野生の猿と戦っているわけです。

輪王寺

輪王寺は日光山輪王寺と呼ばれ、その歴史は奈良時代にまでさかのぼります、時代とともに建物、仏像が次々と建立され、多くの国宝、重要文化財を有します。輪王寺から東照宮、二荒山神社と奥に進み、3か所詣でることはできるのですが、丸1日で回りきれるかどうか。

金谷ホテル

明治26年創業の老舗ホテル。当時としては(今のホテルと比べても)天井が高く、欧州風のホテルです。ホテルの建物はほとんどが重要文化財という歴史のある建物群で、明治天皇がお泊りになったという離(はなれ)が保存されています。ホテルのレストランは趣があり今でも有名なデートスポットです。

いろは坂

さて、日光市内を後に奥日光へと向かいます。まずは第二いろは坂を上ります。なぜ「いろは坂」というかというと第一いろは坂28、第二いろは坂20計48の大きなカーブがあり「いろは」の48文字に合わせて「いろは坂」といいます。実際は、小さなカーブを入れるともっと多いと思います。新しいほうの第二いろは坂は長い直線、きついヘアピンカーブの連続で登り専用、第一いろは坂は直線が短くカーブが多いので下り専用です。

いろは歌といろは坂

「いろは歌」はカナが重複していない歌だそうです。「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」です。数えると47文字です。日光のいろは坂では最後のカーブに「ん」の文字がありこれで48文字、48カーブになります。

明智平展望台

第二いろは坂を登りトンネルの手前に駐車場があり、明知平ロープウエーがあります。このロープウエーに載って明智平展望台まで行くとなかなかの眺めです。これから行く華厳の滝や男体山が見え、振り返ればいろは坂の九十九折が見えます。ただ、どこにも行く道がないのでロープウエーで出発地の駐車場に帰るしかないのです。

華厳の滝

第二いろは坂を上り切り、トンネルを出て第一いろは坂方面に少し行くと華厳の滝があります。無料の展望台とエレベーターに乗って滝壺近くに行ける有料の展望台があります。滝壺にそれほど近いわけではありませんが水量の多いときはかなりの大迫力です。梅雨時、秋の長雨時の水量の多いときは飛沫(しぶき)でびしょぬれになります。

男体山

男体山は二荒山ともよばれ、二荒山神社の奥宮が山頂に鎮座しています。その昔、この山の溶岩により戦場ヶ原とか中禅寺湖ができたとか。男体山の北側には女峰山(栃木イチゴの女峰はこの山が由来?)、女峰山との間に大名真子山、小名真子山、小名真子山の北側には太郎山、真子ちゃん二人を女性とすると1男2女の5人家族。

中禅寺湖

男体山の溶岩で川がせき止められ、中禅寺湖になったというのが定説ですが、その昔、赤城山と男体山が戦(いくさ)をし、赤城山がムカデ、男体山が蛇に化けて戦い、流れ出た血がたまってこの中禅寺湖ができたと言われています。とは言え、水は赤くはなく、透明度もかなり高い湖です。ヒメマス、ニジマス、ホンマスなどの魚は釣り人の間では有名です。

中禅寺湖展望台

中禅寺湖畔で左に折れ、半月山に行く途中に中禅寺湖展望台があります。なかなかのデートスポットで、晴れていると中禅寺湖を見下ろし、男体山と対等に立っている気がします。おすすめは午前中の早く、時間とともにガスがかかり何も見えなくなります。しかたなく中禅寺湖畔まで降りると展望台は雲の中です。なんでこんなところに展望台を作ったのでしょうか。

竜頭の滝

中禅寺湖より湯の湖方面へ少し登っていくと竜頭の滝があります。龍頭(竜頭ではありません)之茶屋、地獄茶屋の駐車場に車を止め、少し登っていくと大きな岩を挟んで2本の瀑布があり、これが竜の角のように見えることから竜の頭の滝というようになったそうです。この竜頭の滝の横を登り上流にある駐車場に抜ける遊歩道があるのですが、車で行く場合は誰かひとり駐車場に戻らなければなりません。

戦場ヶ原

龍頭の滝を過ぎてしばらく行くと戦場ヶ原があります。男体山の溶岩でせき止められた湖が湿原化したといわれています。湿原を流れる湯川(上流の湯の湖より流れてきます)沿いには自然研究路(木道)があり、ゆっくりと湯滝を通って湯の湖まで歩くことができます。

戦場ヶ原2

この戦場ヶ原、古戦場ではなくその昔、群馬県の赤城山と男体山の神様が戦(いくさ)をした場所とされています。赤城山が大ムカデ、男体山が大蛇に化けて戦ったそうです。当初、赤城山が優勢だったのですが男体山の隣の太郎山が加勢して赤城山を追い払ったとのことです。この話を赤城山の麓(ふもと)の前橋市の人にしてみたところ、「そんな話知らん!」。・・・下野の国(昔の栃木県地域の名)の昔話でした。

雑賀崎(さいがさき)

ある民放で和歌山にある雑賀埼灯台から漁港まで流し素麺(そうめん)をする番組がありました。和歌山市に行った時に現地を訪れました。雑賀崎は日本のアマルフィと呼ばれているところだそうです。半島の傾斜地に家々が立ち並び細い路地で繋がっています。とりあえず「流し素麺の痕跡」を追おうと、雑賀崎漁港に車で送ってもらってからスタートです。

雑賀崎灯台

番組では雑賀埼灯台から雑賀埼漁港まで素麺を流します。そこで、まず、雑賀埼漁港から灯台まで坂道を一気に登ります。細い、本当に細い路地を上っていくと行き止まり、折れ曲がり、T字路、Y字路、があり比較的広い道に出ました。バス通りらしく、この広い道を登っていくと灯台への案内があり無事、雑賀崎灯台につきました。なかなかの眺めです。

雑賀崎:灰干しサンマ

灯台へ行く途中で紀州名物「灰干しサンマ」の看板を見ました。販売店というよりは会社の事務所のようです。覗いてみましたが誰もいません、灰干しサンマもありませんでした。あとで探しましたが、この「灰干しサンマ」駅の売店にもお土産店にはありませんでした。どなたかご存知でしょうか。

雑賀崎:紀伊水道

雑賀崎灯台は無人の灯台だそうですが途中までは外側の階段を登れます。灯台からは紀伊水道に浮かぶ双子島、中ノ島、大島が見え、番所の鼻の番所庭園も少し見えます。反対側を振り返ると流し素麺の竹の樋が通ったであろう方向には竹藪がありその向こうには街並みが見えます。テレビの放映の時よりはずいぶんさっぱりした感じですが‥。

雑賀崎:番所庭園

雑賀崎灯台から流し素麺の竹の樋の跡に沿って街中に降りようと思いましたが、道を外れて番所の鼻の番所庭園に行きました。双子島、中ノ島、大島が目の前に見えます。手するギリギリから下を覗けば断崖絶壁で太平洋と絶壁とのせめぎあいが見えます。一周して帰ろうとすると「シャワー室」があります。さすがは南国紀州と思いながらシャワーは浴びず街中に戻ります。

雑賀崎:細い路地

もう流し素麺の竹の樋は跡形もなく、1度しか見ていないテレビの記憶もあいまいなので、「この辺かな」というところを降りていきます。途中、床屋さんがありました。間口3mくらい、店の前の道は1mもなく、坂道と階段が混在するところです。床屋さんの椅子(結構大きいですよね)どうやって運んだのでしょうか。

雑賀崎:たこ焼きとお好み焼き

流しそうめんの竹の樋は跡形もなく、港近くまで降りていくとたこ焼き屋さんがありました。おかみさんはテレビで見た人です。たこ焼きと「世界焼き」と呼ばれるお好み焼きを買い、港まで出ました。さて、帰りのバスに乗るのにまた坂を上らねばなりません。2回目の登坂です。とりあえずバス停まで行ってたこ焼きと(世界焼き)お好み焼きを食べようと思いつつ、ひたすら上ります。

雑賀崎:たこ焼きとお好み焼き2

バス停まで細い路地を上り、何とかバス停に到着。さて、たこ焼きとお好み焼きを食べようかと思ったら、すぐにバスが来てしまいました。バスの中に美味しそうなにおいをた漂わせながら30分くらい乗ると和歌山駅に着きました。カリカリだったたこ焼きの表面はしっとり(しんなり)としてピンポン玉のようにまん丸だった形状は見事につぶれておりました。でも美味しかったです。

2018年

芋煮会

今年の秋(11月2日)に他の学会の講演会で再び米沢を訪れました。3年前の春に材料学会の講演会で5月に訪れて以来のことです。講演会終了後芋煮会がありました。10月までですと松川(最上川)の河原で薪を焚いて行うようですが11月になってしまい、残念ながら上杉神社近くの上杉城址苑というところでのコース料理でした。大鍋ではなく一人分の小鍋でした。

芋煮会2

今年の秋(11月2-4日)の他の学会の講演会終了後の芋煮会ですが、地元の人達は河原で薪を焚いて行うそうです。スーパーマーケットで牛肉やサトイモなど芋煮会用の食材を買うと買った量に合う大鍋を貸してくれるそうです。私が幼少のころは大きな農家の倉庫には超巨大な鍋や釜や七輪などがありましたが、今ではなかなか見かけませんが。

博物館

今年の秋、講演会終了後芋煮会を行った上杉城址苑や上杉神社の近くに、「米沢市上杉博物館」があります。ここには織田信長が上杉謙信に送ったとされる洛中洛外図屏風(残念ながらレプリカとか、本物はどこかに保存されているようです。)があり、またその洛中洛外の世界をコンピューターグラフィックスで上映しています。上杉鷹山の生涯や火縄銃の試射や城下町の様子、米沢市の歴史などがわかります。

博物館2

「米沢市上杉博物館」ですが、藩の財政を立て直した上杉鷹山の生涯をシアターで上映しています。上杉鷹山役が俳優の西村和彦さん奥方役が女優の紺野美沙子さんという豪華キャスト、内容は家柄を重んじ贅沢から抜け出せない重臣たちと、質素倹約、産業改革、武士の農地開墾を行おうとする鷹山との軋轢などなかなか見ごたえがありました。

博物館3

「米沢市上杉博物館」の中に火縄銃の試射をするところがあります。実際に弾丸が出るわけではなく、角度と方向でどこに弾丸が当たったかを計算し、弾着か所を的に表示するのです。 まず、銃の軸線を的の中心に合わせて引き金を引きます。弾丸は的のはるか下に着弾します。そうとう弾丸のスピードが遅いようです。放物線という言葉を思い出し的の上を狙うと今度は上すぎました。2発中、2発外すと「何をしておる」と鎧を着た隊長さんに怒られました。

博物館4

「米沢市上杉博物館」の中の前回2発中2発外したに火縄銃の試射ですが、火縄銃の弾丸のスピードが遅いことを考慮し、物理で習った上に凸の放物線を頭に浮かべ、今度は的の少し上を狙うと今度はちょっと下でした。フラストレーションがたまります。さらにもう少し上を狙うと今度は命中、隊長さんからは「まあまあじゃな」。 さて2発とも命中では・・・。

博物館5

「米沢市上杉博物館」の横にホールがあります。「能」の舞台「能舞台」がホールの横に置いてあります。ホール内で「能」を上演するときは空気圧で浮上させ、人力でホールの中に入れるとか。要はフォバークラフト同じ原理、人が人力で移動させるのでエアーホッケーの方が近いでしょうか、スピードはだいぶ違いますが・・・。

米沢再び

今年の秋(11月2日)に他の学会の講演会で再び米沢を訪れました。3年前の春に材料学会の講演会で5月に訪れて以来のことです。3年前のコラムに書きました松川(最上川)の河原はススキが生い茂り、会場の山形大学工学部の旧米沢工業高校の庭や上杉神社の椛(もみじ)は紅葉し、春とはまた違う趣がありました。夏にも国際会議を開催したとのことで、参加してみればよかったかな、と思っています。

駅前の地図

11月の米沢での学会の前に工場見学をすることになりました。超一流の企業なので、駅に行けばなんとかなると思っていたのですが、なんと「駅前に地図がない」、あるのは観光案内図ばかり、慌ててタクシーに乗ると「すぐそこですよ」と言われワンメーターで到着。今思えば駅前の交番で聞けばよかったのですが、そういう時は頭が回らないんですね。

旧米沢工業高校校舎

山形大学工学部の米沢キャンパス内に旧米沢工業高校の校舎が残されています。国の重要文化財だそうです。予約しないと入れないそうですが、見学の方についていったら一緒にどうぞと言ってくれました。玄関には3Dプリンターで作製した校舎の模型がありました。材質はプラスチックのようです。真っ白い白亜館です。

蒸気機関

山形大学工学部の米沢キャンパス内に旧米沢工業高校の校舎が残されています。国の重要文化財ですが内部には色々な機械的な遺産があります。蒸気機関や蒸気機関車の模型があります。フライホイール(はずみ車)で回転の方向を決めているようです。足踏みのミシンもありました。このミシンこそはずみ車で縫う方向を決めていましたね。

通信機、蓄音機、時計

山形大学工学部米沢キャンパス内の旧米沢工業高校校舎には昔の通信機があります。ト、ト、ト、ツー、ツーのモールス信号を打つ通信機がありました。蓄音機は瘻管式のものとレコードプレーヤーがあり、スピーカーはラッパ式、そのスピーカーの横には犬の置物があり、ある会社のマークのようでした。昔、オーディオ関係の電気屋さんの前に置いてありましたね。

電子計算機

山形大学工学部米沢キャンパス内の旧米沢工業高校校舎には昔の卓上電子計算機(略して電卓)があります。かなりの緒方のものもあり、テーブルの上からはみ出そうです。電卓とはまさに卓(テーブルの)上の意味だったのですね。中は真空管のものもあり、表示はネオン管です。若い方には理解できるかどうか。

牛肉どまんなか

米沢滞在中、米沢牛のステーキをと思いつつも時間と財布の都合で宴会や懇親会でちょっと口にした程度でした。帰るときになり、後ろ髪惹かれる思いで米沢駅のプラットホームに出ると、何とも弩直球な牛肉の駅弁がありました。その名も「牛肉どまんなか」、そういえば街中にはやたらとこの名前の書いてある幟(のぼり)がありました。

高知城

5月の年次大会で、午後の講演会で汗だくの人がいたので理由を聞いてみましたところ、昼休みに高知城に上ってきたそうです。確かに会場からは近いのですが山の上にあるお城です。あとで行ってきましたが上り坂とお城特有の迷路があり、天守閣の階段は急で、シャッターポイントも数多くあり、昼休みに往復した方はかなりの健脚かと。

鰹のたたき

日曜日の昼食は「ひろめ市場」でとりました。本場のカツオのたたきを注文すると、藁を燃やし、1.5mほどの高さの炎でカツオを焼いておりました。食べたカツオのたたきは藁の燃えた香りがし、何とも言えぬおいしさでした。飲み物がノンアルコールビールであったのがなんとも残念でしたが。

日曜市

日曜市で柑橘類を買い珍しい野菜があるなとウインドウショッピングしていると、サツマイモを見つけました。5月の下旬です。私の家庭菜園では(茨城県つくば市)では1,2週間前に植え付けたばかりです。ここは四国、南国土佐、北関東より2,3か月早く野菜や果物ができるのでしょうか・・・。

よさこいソーラン

追手筋を日曜市に沿って東に向かって歩くとなんだか景気のいい音楽が聞こえてきました。追手筋を右に曲がり南下すると中央公園前の商店街でよさこいソーラン節のパフォーマンスがありました。各団体が持ち時間内でよさこいソーラン節を踊っています。なんとも鮮やかなコスチュームです。材料学会開催に合わせてくれたのでしょうか。

横浪黒潮ライン

ある先生に勧められて横浪黒潮ラインをドライブしました。昔ならばダブルクラッチにヒールアンドトウを駆使するような道でしたが、借りた車がハイブリッド車、モーターの力を借りた結構な加速力です。それでもバイクにあおられて仕方なく道を譲るのですが・・・。途中、太平洋を見下ろすいくつかのビューポイントがあり、天気も良かったので久々の気持ちの良いドライブでした。

鮎の友釣りのおとり(その1)

今は鮎の友釣りのおとり鮎は川近くのおとり鮎屋さんで買いますが、昔は川船の上で釣りをしている川漁師さんから買ったものです。川岸から「おとりありますか」と声をかけると、船を操って川岸によってきます。50年も前のころですが1匹100円だったかと。今は数百円しますが物価も5倍くらいになりましたか。

鮎の友釣りのおとり(2)

鮎の友釣りのおとり鮎は、今では川近くのおとり鮎屋さんで買うお話をいたしましたが、偽物のおとり鮎もあります。下に下に潜っていくひれをつけたものから姿かたちがそっくりでうろこまで詳細に再現しているもの(姿かたちがそっくり)、さらには、微妙なひれの動きを模倣し特許をとっているものもあります。一体どんな材料なのでしょう。

鮎の友釣りのおとり(3)

偽物のおとり鮎の材料ですが、金属やプラスチック製のようです。ただこのような硬い材料が川底の石に当たると音がするので鮎が逃げてしまう(と思う)そうです。ということでシリコン製の鮎もあるそうです。価格は2000円から3000円くらいと本物のおとり鮎よりも数倍高いのですが、利点は何回も使えること、決して弱らないこと、欠点は食べられないことでしょうか。

川舟

昔おとり鮎を売っていた川漁師さんの舟、わたくしの故郷の栃木県を流れる鬼怒川、那珂川の川漁師の使う船は、京都の高瀬川にある水運用の高瀬舟と比較するとほっそりとしています。急流の中で川舟を操るために抵抗を減らすためでしょうか。川漁と水運用、目的が違うと舟の形も変わるということでしょうか。

川舟の材料

高瀬舟や川漁師の舟の材質はどう見ても木材です。今のほとんどの漁船の船体がFRP(繊維強化プラスチック、ほとんどがガラス繊維強化プラスチック)ですが、FRPの高瀬舟など聞いたことがありません。加えて、情緒もありません。とはいえ東京の隅田川に浮かぶ屋形船はどう見てもFRPです。エンジン付きですので「櫂のしずくの花と散る」というような情緒を求めるのが無理かと。

舟(船)の材料

舟の材料というと木材、船となるとFRPや金属材料になります。もちろん鉄がほとんどですが、ボートなどは軽量化のためアルミ合金製のものもあるようです。第二次世界大戦中、日本は鉄不足のため、コンクリートで船を作ったそうである。当時の(今でも遜色のない)コンクリート打ちの最高の技術が使われたそうである。

防波堤

防波堤はほとんどがコンクリート製です。前述したコンクリート船ですが、今では防波堤になっているそうです。場所は広島県呉市安浦町の安浦漁港だそうです。一度見たいものです。

船大工(1)

私が幼少のころは沿岸魚用の漁船(数トンクラス)はすべて木造船でした。細長い板を上手に曲げて、波切のための船首や美しい船腹のラインを作っていました。1,2人乗りの超小型の舟は船外機ではなく「櫓」で漕いでいたと思います。海岸から押し寄せる波を超えていき地引網を仕掛けていたのを覚えています。海の男という感じがしました。

船大工(2)

木造船が全盛の時代は多くの船大工さんがいらっしゃったそうです。初の国産旅客機YS-11の予算を確保するための宣伝として、全国の腕の良い船大工を集め、YS-11の同尺のモデルを作ったそうです。座席も贅沢に作られ、布は西陣織だったとか。

高知市の用水の鯉さん(その1)

今期より、副会長を拝命いたしました岸本でございます。2年前までつりシリーズでコラムを書かせていただきました。2年前の最上川を持ってほぼネタが尽き、釣りシリリーズをどうしようかと思っておりました。本年5月26日、講演会参加のため高知工科大学に向かう途中、江の口川の通りひとつ北を流れる用水でいきなり鯉さんと目が合いました。見つめあっている間に十匹ぐらい寄ってきました。 「また書けよ」と言っているのかな(えさがほしかっただけ)と思い、会場に向かいました。

高知市の用水の鯉さん(その2)

鯉は豪快に引きます。私は釣堀でした釣ったことはありませんが、一尺(約30cm)を超えるとそう簡単にはあがってきません。数十秒のファイトであっても、右に左に前に後ろに逃げ回ります。ヘラブナも結構引きますが、体長が同じでも体重があり、体重が重い分引きも強いです。高知工科大学近くの用水に居た鯉さんですと専用の鯉竿でないと釣り上げられないかもしれません。(よほど網ですくったほうが早いかと)

高知市の用水の鯉さん(その3)

高知工科大学の近くの用水の鯉さんを見て思い出しましたが、10年くらい前に琵琶湖の近くの漁師さんの生活を紹介する番組がありました。琵琶湖周辺の家々では清水が湧き、それを台所に取り込んで、野菜やスイカを冷やし、鯉を飼っているそうです。これを川端(かばた)と呼ぶそうです。なぜ鯉を飼っているのでしょうか。食べるため?

高知市の用水の鯉さん(その4)

琵琶湖周辺の家々での川端(かばた)鯉を飼っている話をしました。冷やした野菜やスイカは美味しいかと思いますが、食事後のお鍋、お釜、食器をこの川端に沈めておくそうだす。すると飼っている鯉が寄ってきてお釜の残飯から鍋の具、はたまたカレーまで食べるそうで、あっという間にきれいになるそうです。鯉もカレー好きのようです。

2014年〜2015年

鮎釣り解禁

各地で鮎釣り解禁のニュー スを 聞きます。 私が幼少のころ、四十数年前は、釣り糸と言えばナイロンでした。 当時は万能に思え たナイロンですが、吸水劣化するそうです。 今でもナイロンは使われていますが、フロロカーボン、メタル、 フッ素をコーティングしたナ イロンなど、新素材も多く使われています。 ちなみにメタルとはニッケルーチタン系超弾性合金細線だそうです。

鮎釣り解禁

2,3年前茨城県北部の 久慈川の簗場にアユ料理を食べに行きました。梁近くの川 魚料理には昔の漁具が展示してありました。魚を入れる魚籠、釣り竿や竹どうは 当たり前としてアユの友釣り用の引き舟や太鼓型のリールまで竹でできていまし た。そういえば簗も竹でできています。竹は自然の傾斜機能型の複合材料と言わ れておりますが、昔の方々の材料を上手に使う知恵を感じました。

鬼怒川

鬼怒川というと皆様は鬼怒川温泉を思い出すかもしれません。この川、利根川の 支流で有りながら、栃木県最大の河川です。今でこそ治水が上手くいき洪水は起 きませんが、その昔は「鬼」が「怒」る「川」と書くほどの暴れ川でした。栃木 県内を東に向かって流れ、東北本線氏家駅(今のさくら市)付近で南に向きを変 えます。この付近は堤防が2重になっていた り、河川敷を広く取ってあり、大雨 の時は大変であったろうと想像いたします。

釣り竿

今まで幼少のころの釣りと道具の話をして参りましたが、ふと釣り道具屋をのぞいてみました。 釣り竿はほとんどがカーボン系のFRPばかり・・・。 長さ10mの友釣り用の竿がわずか200g、 片手で簡単に(?)操作できるようです。 竹竿はないかと探してみると、お!ありました。鍵のかかったケースの中にへら竿(ヘラブナ釣り用の竿)です。 価格は・・え!10万円!?

釣り用の錘(おもり)は色々な物があります。今でこそ、樹脂で包まれていたり鉄製の錘もありますが、 昔は全て鉛製でした。その中に噛み潰し(今でいうガン玉)いうのがありました。使い方は、その名の通り、 歯で噛み、つぶして、糸に固定したのですが,材質が鉛なのです。今思うと恐ろしいことをしておりました。 幸い、その頃の釣り仲間はみんな無事生きているようです。今は専用のペンチで固定します。

科学・夢ロードマップ

日本学術会議 第三部におきましては理学・工学系学協会連絡協議会と連携して、 「理学・工学分野における科学・夢ロードマップ2014」を作成いたしました。 この中の「材料工学の科学・夢ロードマップ」作成には当材料学会も大きく貢献いたしました。 これに関しますシンポジウム、「理学・工学分野における科学・夢ロードマップ2014」が 以下のように開催されます。お時間のある方はどうぞ。
日 時:2014年9月26日(金)13:30〜17:30(受付13:00開始)
会 場:日本学術会議 講堂(東京都港区六本木7-22-34)
参加費:無料、参加申し込み不要
詳細はhttp://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/198-s-3-1.pdfをご覧ください。

釣り糸

我が家には30号という直径が0.9mmほどあるナイロンの釣り糸が一巻き、50mくらいあります。 巨大魚用の釣り糸ですが、魚を釣るためではなく、子供の夏休み自由研究(工作だったかな)の 光ファイバーとして購入しました。しかし、子供の興味が別の方にいってしまい、日の目を見ませ んでした。さて、このまま劣化させるのももったいないので、マグロでも釣りましょうか。

鰹の一本釣りの竿

50年ほど前、茨城県の那珂湊の漁港で鰹一本釣りの漁船を見ました。 漁船には多くの竿が積んでありましたが全て竹竿でした。もちろん一本釣り用の竿です。 太さは物干し竿くらい、今では全てカーボンファイバーになってしまっていますが 当時は丈夫でしなりがあり最適だったのでしょう。でも、数キロはある竹竿を使いこなしていた 漁師の方はどんな腕っ節をしていたのでしょうか。

竹の六角竿

私が最初に手にした海釣りのセット(リール)の竿は竹製の六角竿でした。 竹を縦に割って正三角形に削り、これを6本、繊維の多い方を外側にして束ねる と 正六角形になり、細くて丈夫な釣り竿になるわけです。天然の複合材と呼ぶべきでしょうか。 強度もそこそこあったのではないでしょうか。 地球上で一番巨大な物(地球)を釣り上げようとしても、糸は切られましたが折 れませんでしたから。

ウキ

魚釣りではあたり(魚がえさに食いついたかどうか)を取るのにウキを使います。またウキ下の長さで魚のいる深さにえさを沈めたり、ウキの重さでえさのついた針を遠くに飛ばしたり針のある位置を示す目印にしたりするのでので、重要な役割を持っています。今ではほとんどプラスチックになってしまいましたが、今でもクジャクの羽で作ったウキは数万円はするそうです。

道糸とハリス

大抵の場合、釣りでは針についている糸をハリス(なぜかカタカナ)、竿先あるいはリールからハリスまでを道糸といいます。大抵はハリスつきの釣り針を買いますが、こだわる方やルアーを使う方は自分で結びつけます。ハリスは道糸と同じ材質(ナイロン)で、直径(強度)を小さく(低く)して魚の食いを良くし、また針が引っかかったときにハリスが切れるようにするのですが、今は材質まで変える方もいらっしゃるようです。

釣り針

釣り針ですが、材質は鉄でしょうか。濡れたままにしておくと錆てしまったものです。 大物を釣り上げたときに(針の大きさに対してですが)少し変形したり、地球を釣ったときは見事に折れたりもします。 おそらくは盆栽用の針金のような軟鉄ではなく、炭素を含有する「鋼(はがね)」の針金から加工し、熱処理をしているものと思われま す。 金色のものはメッキでしょう。 安物と高級品の差はよくわかりません。

糸の結び方

釣りをするとき、道糸とハリスを繋げるときには大抵はハリス止めというものを使います。 これを使わずに結ぶときに普通の横結び(団子結び)をするとナイロン糸の場合は摩擦係数が低い(透明性を保つため表面がつるつる)のです るり と抜けてしまいます。 言葉での説明は難しいのですが、糸の端ごとにお互いの糸を通した後に結び目を造り、引っ張ると結び目同士がひっかかって外れなくなりま す。 道糸とハリスの先端に輪を作り、輪ゴムを繋げるようにする方法もあります。 子供のころ父親から教わりました。 今となれば良い思い出です。

古代の釣り針

石器時代、縄文時代の貝塚からは鹿の角や動物の骨で作った釣り針が出土するようです。 実際に実験考古学では鹿の角を輪切りか、短く切って縦割りにしてこれから釣り針の形に削り出すそうです。 どんなに小さくても2〜3cmほ どあるわけで、自ずと捕れる魚の大きさは決まってきます。 小さな魚は指をくわえて見ていたのか、網か何かで捕ったのでしょうか。それとも素手?

古代の釣り2

先日、古代の釣り針の話をいたしましたが、太平洋側の貝塚からは貝殻の他に、タイ、マ グ ロ、サメ、クエ(高級魚)、カツオなどの骨が出土するそうです。 鹿の角や動物の骨で作った釣り針で釣るのですから、口の大きな魚であることはわかりますが、マグロをどうやって釣ったのでしょうか。 釣り針は折れないのか?、釣り竿や釣り糸の材質は?強度は?、魚とのやり取りなど、古代釣りロマンと材料の研究者としての思いが交錯します。

糸の結び方

釣り針と糸を結びつけるのに外掛け結びという結び方があります。 片手に針を持ち、もう片手で糸を巻き、色々あってから糸の両端を引っ張るのですが、巻 いた 糸と針を片方の手で持っているので手が足りません。 そこで出てくるのが歯です。奥歯で糸の端をしっかりと噛み、片手で巻いた糸を押さえ、もう片方の手で糸を引っ張ると糸はしっかりと締 まり ます。 噛みつぶしのところでも申し上げましたが、丈夫な歯はペンチの代わりをしてくれます。

ペットボトルの魚籠(びく)

今から十年くらい前でしょうか。どなたかのホームページに2リットルのペットボトルで 魚を 入れる魚籠の作り方が載っておりました。 早速作ってみるとなかなかの物で友釣り用の引き舟みたいな感じです。 子供がめざとく見つけ、夏休みということもあり、すぐに釣りに行くことになりました。 夏の暑い日で、小物は良く釣れたのですが、大物用にと持っていったバケツは日の目を見ませんでした。

えさ(川釣り編)

川釣りでは黒川虫、チョロ虫、水が濁っているときはにおいの強いキジ(シマミミズ)を 使い ます。 私が子供のころは、黒川虫(ヒゲナガカワトビケラの幼虫)、チョロ虫(ヒラタカゲロウの幼虫)は現地調達(河川の中流域までならば石 の下 にいます。チョロ虫はすぐ逃げますが黒川虫は石で巣を作っているのですぐにとれました。 キジはゴミ捨て場で探しました。)今では、チョロ虫とキジは、釣具屋さんの冷蔵庫に眠っています。 黒川虫は保存ができないので疑似餌(色、感触ともなかなかの物です)に姿を変えて店頭に並んでいます。

えさ(海釣り編)

海釣りはあまり得意ではないのですが、子供達に海の魚を釣らせるのであれば漁港の 底物(カレイなど)を狙うのが一番です。 ゆっくりリールを巻いていると小さなカレイは良くかかります。 ゴカイやイソメをえさにしますが、これも砂浜を掘れば見つかるのですが面倒なので釣具屋さんで買います。 生きているまま買えるのですが、生きているゴカイはかみつきます。

ザリガニ釣り

ほとんどがアメリカザリガニですがザリガニ 釣りも数多く釣れるので楽しめます。 田んぼの中にもいますし、用水路の川の泥の 中にいます。よどんだ流れの中でぷ くぷくと泡が出ているところがポイントで す。餌はするめが定番ですがレバーで もミミズでも釣れます。物陰に餌を引っ張り 込んでから食べるようなので、少し 食べ出したころを見計らって竿を上げます。 早すぎると餌を離してしまうのです が、食べ出すと食い意地が張っているのか餌 を離しません。人間と似たようなと ころもあります。

ザリガニ釣り2

ザリガニをつり上げるとき、大抵餌をはさみで挟んだまま釣れるので途中ではさみを離し て 落っこちます。 水の中に落ちるとあっという間に逃げていきますが、あぜ道に落ちて、正面切って対峙すると、足で立ち上がり、 上体を反らしてはさみを高く振りかざして威嚇してきます。 怪獣エビラ(映画のゴジラの相手)の様ですが後ろから捕まえれば、はさみは後ろには届きませんのでこっちのものです。

にらむし釣り

幼少のころ、「にらむし釣り」をしました。日当たりの良い 畑のあぜ道のわきに 直径2〜3mm位 の穴が開いています。2,3p の深さがあります。ここに「韮(にら)」 の葉っぱを差し込むと何かがかみついた感触があります。やおら「韮(にら)」を 引っ張り上げると10-15mm位の小さな白い虫(姿形は少しやせたモスラの 幼虫)が 喰らいついています.ハンミョウという昆虫の幼虫だそうですが、なぜ、釣れるのでしょうか。

にらむし釣り2

前回「にらむし釣り」の話をいたしましたが、この「にらむし」、決して「韮(にら)」の 葉が好き、というわけではないようです。ほかの雑草や野菜の細長い葉っぱを穴に突っ込んでも、 「にらむし」は噛みついてきます。どうも葉っぱを侵入者(虫)と思い込み噛みついて 追い出そうとしているようです。でもなぜハンミョウの幼虫を「にらむし」というほど 韮がそこにあるのでしょうか?

にらむし釣り3

前回、前々回と「にらむし釣り」の話をいたしましたが、この「にらむし」は日当たり のよ いところに穴を掘って巣を作ります。 畑を耕すとすべて掘り起こしてしまいますから、あぜ道の巣だけが残ります。 さて、なぜ都合良く「韮(にら)」がそこにあるかですが、これはモグラ対策だそうです。 韮の独特な臭いをがモグラが嫌がるからだそうで、畑をぐるっと取り囲むように(あぜ道の横にも)韮を栽培します。 と必然的に「にらむし」の巣の近くには「韮」の葉っぱがあるわけです。

あんま釣り

小学生中学年高学年になると泳げるようになり、鬼怒川などの大きな川に釣りに行くようになりました。夏の日の日中、時間的につれなくなるときがありますが、このときは水泳パンツ一つになって川の中に入り「あんま釣り」というのをやります。1から2mの仕掛けを短い竿につけて前後に動かすだけです。仕掛けは次回のコラムで・・。

あんま釣り2

私 のフィールドの鬼怒川では30pくらいの短い竿に2mほどの道糸、その先に針をつ けていました。 重めの重りをつけてえさを沈めるのです。川底に落ちる前に竿を前に引き、えさを浮かします。 えさが踊っているように見せるためです。 これが栃木県北部の那珂川になると1mから1.5mの竿に同じ長さの道糸をつけ竿先 を水の中に入れて竿を前後させます。 理由は同じですが、でもどうして釣れるのでしょうか?

あんま釣り3

過去2回紹介いたしました、簡 単に 釣れる「あんま釣り」ですが、竿の操作以外にもう一つ、やるべきことがあります。 足で川の石を少し動かしながら下流に移動します。石の下についている黒川虫、チョロ虫が川の中に流れ出し、それをねらって魚がやって きま す。 この中に釣針のついた、おいしそうな黒川虫がいるわけです。 夏休みの川原でのキャンプに飽きたら、試してみてはいかがでしょうか?

最上川

第64期日本材料学会通常総会・学術講演会に参加いたしました。発 表日、山形大学工学部へ 米沢駅より歩きました。途中最上川(松川)に架かる万里橋を渡るときにふと足を止めました。 周りの雪の残る山々の美しさのみならず、川にも興味を持ちました。橋の上流側に堰があり、 その前に魚路、その下流にチャラ瀬がありさらに下流には早瀬があってその先にトロ場が ありました。一瞬、釣り具があればという思いがよぎりました。

最上川2

最上川(松川)の万里橋の上で思ったことですが、チャラ瀬にはえさとなる川虫がいます。 その川虫が流れて来るのをトロ場で魚が待っているのだろうな・・・。早瀬の終わりに餌を 打ち込み、トロ場まで仕掛けを流せば、突然浮きが沈み、竿を上げると、ググググという 魚の感触が伝わってくるのかな…。という白昼夢を見ながら、朝2番目に自分の発表がある ことを思い出し、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れました。

最上川3

最上川(松川)の万里橋を渡り切ったところで気が付きました。日曜日なのになぜ誰も釣りをしていないのだろう?米沢の人は釣りに興味がないのかな?鮎釣りの解禁前からかな?と思いながら会場まで歩きました。ちなみに、鮎以外の魚を獲るときも入漁料をその川の漁業協同組合にお支払いする必要があります。たいていの場合入漁券あるいは遊漁券を近くの釣具屋さんで買います。

最上川4

会場の山形大学工学部から帰る途中で、最上川(松川)の万里橋の近くで 地元の人に伺いましたところ、誰も釣りをしていない理由がわかりました。 魚がいないからだそうです。上流の工場から有毒物質が流れ出てしまい、 一旦、川の魚がすべて死滅してしまったとのことでした。そういえば堰に ある魚路には遡上する鮎もそれを狙うカワウもいませんでした。 川の浅瀬に立ち、じっと魚を狙うシラサギもアオサギもいませんでした。

最上川5

最上川 (松川)の上流の工場で有毒物質が流れ出て、魚が死滅して しまってとのことを聞き、 一瞬、神通川流域のイタイイタイ病や水俣病などの公害が頭に浮かびました。釣りの事ばかり考えていた自分に嫌悪感を抱いているところ で す。 自然の回復力を信じ、いつの日かこの川を訪れ、良い釣果が得られることを信じて米沢を後にいたしました。 来年の総会は北陸信越支部とうかがっております。 かの神通川も今では魚影も濃く鮎釣りで有名な川になっております。